お早うございます。昨日のアクセスは、久々の坊主でした。かれこれ2年以上続いてるのでしょうか?そこらへんは書いてる本人が解らないのでご想像におまかせします。
今だに坊主があるんですから、ほんとマイナーですよね。自分じゃ、他と比較するつもりもないので気にしてません。最近、いろいろ気付くことがあって自分の思考にも影響しつつあります。たまにコメントもらうこともあるんですけど、「うわぁ、古臭い絵」とかね。で、こういうことを気にする作家は、今風の絵柄を真似て近づけようとしますね。僕も一瞬そう思ったりもしますが、別にいいんじゃない…とも思います。
ていうのは、僕も昭和生まれですので古臭くて当然なんですが、それにもまして古いものが好きなんです。僕の生まれる前の色んなもの…。ファッションや絵、音楽に小説、映画…。特に好きだったのが、アメリカのイラスト広告。みなさんもどこかで見たことがあると思います。コカ・コーラや映画の宣伝イラスト。あのポーズや色、女の子や子供の表情。多分戦中、戦後の一般大衆向けの大量消費社会の訪れでそういうバラ色の明るいイラストが出たんだと思います。
今では全く蒐集しなくなりましたけど、昔しは、本屋の洋書コーナーでそういったイラストを集めた雑誌やポストカードなんかを買ってました。こういったせいもあって古臭いと言われても当然なんですね。言っときますけど、ほんとあの頃の広告イラストは上手いと思います。全身を描くのが普通で、つま先の靴がキュって、上に向いたり、指をぱらりと広げたり、髪型はやっぱりポニーテールだし…もうどこをとっても完璧。
だいぶ話がそれました。上のイラスト、クロッキー状態ですが、もちろん何も見ないでイメージしながら描くんですけど、一番重要なのは間違いに気付くということなんじゃないかな、って思います。例えば左のおしりにあるクボミ。あれ、最初は描いてなかったんです。で、気付くんですよ、「ん?何かおかしい…何か足りない?」
気付くってすごい重要ですね。なにも絵に限ったことじゃなくて日常学校や職場でいろいろ気付くわけですよ。それが間違いってのが、もっとも重要で、間違いって?どこ?ってなると思いますが自分で判断しなきゃ…ですね。水準や常識や慣習なんてのもある。
いつもというか、たまに思い出すんです。間違ってるって言うのがどれほど大変で困難だったのか…そんな時代を人間は乗り越えて今があるんでしょ。プラトンやソクラテスに始まってガリレオやコペルニクスの地動説、ルターの宗教改革…さまざまな革命。面白かったのは、進化論のダーウイン。当時、新聞では大騒ぎ。ロンドン中が騒然。失神卒倒する貴婦人や罵詈雑言の聖職者や学者。かたや日本。将軍や各藩の殿に対して間違ってる、正すべき道はこれこれ然々…なんて直訴しようものなら即死ですよ。つまり死を賭して訴えるんですよね。
いろいろ考えがあって今があるんですが、間違いってのは深いですね。