お早う…。
ってかさぁ、まだ真っ暗。
ボイスレコーダー届きました。早速、使いたいのですが、その前にまず漫画。
マチルダの回想によると、この時、初めてテレパシーなるものを知った…?なんかよう解らんが感じる、何某か…意思、思惑、イメージ…言葉でいうと、似た感じって…言うと、そう、子供…ペット。
まだ言葉を話せない乳幼児、幼児…でも話そうと、意思を伝えようとしている…。また、犬や猫といったペットでも、空腹や欲求を伝えようとする。
口から言葉は出せないが、目、頭、しぐさなどでこちら側に解る何かを発している…。もちろんジェスチャーは、この場合、グレイというエイリアンなので皆無。それに目が…瞳もないのでかなり子供やペットと違うんだけど。
ま、でもそういう感じだったと言ってます。
テレパシー…、僕も解りません。
考えてみると、よく映画や小説、アニメなんかに出てきます。実際、心に侵入されてるとも言えます。感情、言葉にすることもない様々な思い…。そこから言葉に形成していくんだと考えられるけど、どこからテレパシーになるの?
話し相手との距離って関係あるのか?
相手の考えも読むことになるのか?
発した言葉は感情、意思、概念も含まれるのか?
読まれたくない、よこしまで、いやらしい感情はどうやってブロックするのか?(個人的に一番重要)^^;
こういった様々な疑問が生まれます。
本では、そういった困惑も踏まえてインタビューが行われています。だから会話というか、言葉を知らない者の代弁者としてのマチルダが言葉に詰まる…ということも頻繁に起こります。でも何とか言葉を探して意味をつけないとインタビューにならないし、仕事の成果にならない。
結構これは大変だと思います。軍の看護師とはいえ、確か…25才くらいの女の子ですから…、諜報機関や軍の指導者十数人に見守れて居るなかで結果を出さないとならないんですから。
話しは変わりますが、前回の「都」。
明治の時に英語を日本語に訳するのに大変な苦労と努力があったと想像します。おまけに、文語と口語がはっきり区別されてましたから。
今、こうやって書いてるのは文語ですよね。
話す時は口語。
僕の場合、漫画もそうですが、ほとんど口語。
皆さんはメールやチャット、ツイッターで文章を打つ時、どのように思いますか?
一瞬、「あれ?なんて書けば…どう書くんだろ?自分をなんて言おう?相手は?」「なんか随分かしこまったような…堅苦しいかな?」「ちょっと、馴れ馴れしい?」
などと思いませんか?
こういったちょっとした戸惑いは、文語があったからだと思います。つまり、自分では使ったこともないのに、昔の本や記事で、文語を知ってるからですよ…多分。
候文(そうろうぶん)
カッコいいですよね。手紙や文章はほとんどこれでしたから。
例えば…って言ってもちょっとどうですか?
…しからずんば、もとより、さすれば、これなるは、ござろう…。これらに候なれば、候どもなど文末に候がつくんですよ。
書けませんよ。^^;
日本人ならこういう文語を間接的に見聞きしているせいで、いざ、自分で文章書こうと思うと何か妙にかしこまっちゃう。面白いですよね。
でもこういう直感を言葉に持ってるのは、日本語がかなり優れていると思わざるを得ません。
僕の勝手な解釈ですが、漢字も元は日本語発祥だと考えます。
多分、焚書坑儒のようなものが古代にあったと考えます。でないとつじつまが合わないことが多々あります。
その一つに鵜草葺不合朝(ウガヤフキアエズ朝)。
神武天皇のお父さん。
いきなり、イザナギ・イザナミ、天照大神からって…ま、そうなってるけど、じつは外伝があって古事記日本書紀の他に竹内文書、九鬼文書など神武天皇以前の天皇が何代もあったという歴史が語られてます。
富士王朝というものもあったと言います。
最古の土器…2万年だった?…も、日本にありますよね。でも、あまり報じられないし、教科書に載せない。研究もしないし、させない。
ともかく、謎だらけ。で、そのまま放置。
今のマスコミの言論制限と同じです。
ウガヤフキアエズって、「鵜」のこと。そう、あの鵜飼でやってる鳥。今でも「鵜呑みにする」なんて言いますよね。
古代は、その鵜の羽で出産場所をつくるそうです。鵜の羽根を小屋の屋根に使う。屋根を葺(ふ)くのに鵜の羽が必要なんです。
仕上げに葺き上げてる最中に生まれてしまった天皇。鵜の羽で屋根を葺きあえず…葺きあえなかった天皇…。
話しが長くなりましたが、鵜草葺不合命が最後の天皇で、その後が神武天皇による正史の始まり。
鵜草葺不合命の前にも何人も天皇がいました。西洋で言うと紀元前になります。そんなに長い間、10代くらいあったように思います…、何万年も文字や言葉が無いって考えられますか?
日本人をなめちゃいかんよ。もっと、多分みんなが知らないすんごいことを日本人ってやってたと思います。それを、中国やら朝鮮半島から渡って来たとか…。もう解りましたが、遺伝子がまったく違います。大陸では無いんです。そして漢字を使うんなら、中国語を使えばいいじゃないですか?でも、使わなかった…。
漢字で表記しただけで、日本語は別にあった証拠では?
こんな素朴な疑問も、誰も教えてくれません。悲しいかなそれが現実。
神代文字が日本全国にあります。これ、シュメール語で訳せるようです。
こういう事実があっても、学者は漢字渡来以前に日本語は無かったと繰り返すばかり。
ほんと、どうなってんだろ?絶対確信犯だと思うんだけど…。